『おちんちんの本』 その6

⑥マスコミが火をつけた包茎ブームの実態

方針イメージ

 

 手術が必要な包茎、手術したほうがいい包茎、まったく手術の必要がない包茎と、包茎にもいろいろある。
それを全部まとめて、「包茎は男の恥」と騒ぎたてたのが、1970年代後半から80年代前半の『平凡パンチ』(すでに廃刊となっている)を中心とする男性週刊誌だった。
そしてその「キャンペーン」にのって、「手術は簡単、傷跡は残りません」と広告のかたちで伴奏したのが包茎手術専門の形成外科や美容整形の医院である。

そもそも、宗教的な理由で子どもに割礼(一種の包茎手術)を施すユダヤ人と、合理的精神により幼児期に包茎手術をすませるアメリカ人以外、どこの国でもオチンチン事情はそうそう変わるものではない。

 しかしヨーロッパでは、包茎に対して日本ほどの悪者イメージはもたれていないし、実際、手術を受けようとする人の数も少ない。
アメリカでさえ最近になって、 「手術を受けなければならない包茎は1~2割なのに、幼児期に母親が強制的に受けさせてしまう必要があるだろうか。軽い仮性包茎なら成人になってから本人の意志にまかせるべきではないか」という論文が発表されるようになってきでいる。

 ところが日本では、歌麿の時代から伝統的にある包茎をバカにする気風に加え、男性週刊誌のすさまじい「キャンペーン」である。はじめてここから情報を得る若者は、これに、惑わされざるをえない。

 たとえば、ちょっと古いが1980年5月のある雑誌・・・・・

「包茎手術は男性復権の証!!- 聞け!見よ!体験者が語る術後のウハウハチン生観」とタイトルを紙面に躍らせて特集を組んでいる。
そのリード文を引用すると、「包茎は、絶対に手術すべきである - われらはこれを徹底して提唱し続ける。なぜなら、手術したほうが、男にとっても女にとっても、肉体的にも精神的にも、ずっとずっといいからである。イジイジするな、恥ずかしがるな。世の中が違って見えてくるはずだ。信じられない? 体験者たちの生の声を聞いてもらえば、わかってもらえるはずだ」

 こんな調子ではじまって、
「長くなった、大きくなった、早漏がなおった、勃起力がついた、ものすごくモテるようになった、彼女が頬ずりしてくれる」

 なんていう言葉がポンポンと飛びだしてくれば、包茎じゃなくても手術を受けたくなってしまっても無理はない。

 もちろん、その内容のすべてをウソというつもりはないが、誇張やレトリックのなかに巧妙にウソが隠されている。実際、包茎手術によって前述のような「利益」が得られるというデータはどこの学界誌にも発表されていないのである。

 そしてこのような「人生をバラ色に変える包茎手術」のあとに、必ず、

「手術は簡単、10~15分で終わり、傷痕も気にならない」という内容が続き、最後に、

「ジメジメと悩んでいるんだったら手術を受けよ、いまが決断のとき」

 というシメの言葉が続くのである。

 このような内容の特集が手を代え品を代え、また場を代えて再三登場してくれば、悩んでいない人も悩まなければいけない気がしてくる。
包茎そのものよりも、このようなマスコミの記事のほうが、はるかに多くの包茎ノイローゼを生みだしているといってもいいだろう。そしてそこに多くの包茎業者が生きる場も生まれているのである。

 これが日本の包茎事情だ。